【6/16生まれ】ジェロニモの名言3選

アメリカ大陸

ジェロニモ
「私は風が自由に吹き、
太陽の光を遮るものが何もない大草原で生まれた。
囲いなど存在しない場所で生まれたのだ。」

ジャン=ジャック・ルソー
「最初に土地に杭を打ち、『これは私のものだ』と言い、
それを信じるほど単純な人々がいたとき、
その男こそが市民社会の真の創始者であった。
もし誰か一人でも、杭を引き抜き、
溝を埋めて、仲間たちにこう叫んでいたら――
『この詐欺師の言うことを聞くな!
地上の果実はみんなのものであり、
大地そのものは誰のものでもない。
一度でもそれを忘れたら、お前たちは滅びるぞ!』

 

ジェロニモ
「私は決して降伏すべきではなかった。
最後の一人になるまで戦うべきだった。」

ウィリアム・ブース
「人の力の大きさは、
その人がどれだけ降伏できるかで決まる。」

 

ジェロニモ
「そこは私の土地であり、
私の家であり、父の土地です。
私はいま、そこへ戻ることを許されたいと
願っています。
残りの人生をそこで過ごし、
あの山々に抱かれて葬られたいのです。」

セオドア・ルーズベルト
「どうせ死ぬなら、
ブーツを履いたまま死にたかったんだ。」

ジェロニモは、アメリカ先住民アパッチ族のシャーマンであり、戦士です。家族を白人の襲撃によって失ったことをきっかけに、復讐と部族の防衛のために立ち上がり、メキシコ軍やアメリカ軍に対して繰り返し武装抵抗を行いました。

アパッチには「酋長に戦士が従う」といった文化はなく、戦士たちは基本的に個々の判断で行動していました。ジェロニモも軍事的な指揮官ではなく、その人間性と信念に共鳴した仲間たちが、自発的に彼とともに戦ったのです。

「ジェロニモ」という名は、銃弾が飛び交う中を、ナイフ一本で敵陣に突撃する彼の勇姿に恐れをなしたメキシコ兵たちが、守護聖人ヒエロニムス(San Jerónimo)に助けを求めて叫んだことに由来すると伝えられています。これがスペイン語読みの「ヘロニモ」、そして英語化されて「ジェロニモ」となりました。

1886年に彼は、最終的な降伏を余儀なくされます。以後は囚われの身となり、自由な死に場所を得ることもできないまま、1909年にその生涯を閉じました。

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