リッチー
「自分に挑戦し続けたいんだ。
型にはめられるのはまっぴらごめんさ。」
フリン
「地味な世界の中で、
色鮮やかな断片として知られることを、
私は自ら許している。」
リッチー
「成功とは
どれだけ高く登ったかではなく、
登る中で
どれだけ多くの人に影響を与えたかだ。」
フリン
「僕には“推進力がある”と思われている。
でも実際は、
観客と歩調を合わせているだけなんだ。
彼らには推進力がない。
だから僕は、
彼らがいる“成長が止まった状態”に
とどまり続けているんだ。」
リッチー
「僕はただ、人が好きなんだ。
ガソリンスタンドでも普通に会話するよ。
名声や富のためじゃない。
ただ、人が好きなんだ。」
フリン
「あなたに向かって他人を悪く言う人間は、
あなたの陰でもそうするに決まっている。」
ライオネル・リッチーは、
アラバマ州タスキーギで生まれ育ち、
1970年代にはソウルグループ「コモドアーズ」の
メンバーとして頭角を現しました。
1980年代にソロアーティストとして独立し、
「Hello」「Endless Love」など
数々の名曲を生み出します。
マイケル・ジャクソンとの共作「We Are the World」は、世界的なチャリティー活動の象徴として
歴史に刻まれました。
その飾らない人柄と普遍的なメロディは、
ジャンルや世代を超えて
多くの人々に愛され続けています。
音楽を通して感動を届けるだけでなく、
人生や人間関係についても
深い洞察に満ちた言葉を数多く残しています。
エロール・フリンの父は、
オーストラリアの著名な海洋生物学者でしたが、
本人は幼少期から問題児として知られ、
自由奔放で破天荒な生き方を貫きました。
10代から金鉱掘り、船員、漁師、宝探し人など
多彩な職を経験し、20歳のときには
ニューギニアでタバコ農園の経営にも
挑戦しますが、これは失敗に終わります。
その後イギリスに渡って舞台に立ち、
1933年に映画デビュー。
ハリウッドでは『ロビン・フッドの冒険』などの
剣戟映画で英雄役を演じ、
1930〜40年代にかけて圧倒的な人気を誇りました。
一方で、アルコール依存や、
たびたび未成年女性との交際など、
多くのスキャンダルに見舞われたことでも
知られています。