テレジア
「私は眠らない。目を覚ましたまま死を迎えたいのです。」
スティーブ・ジョブズ
「OH WOW. OH WOW. OH WOW.」
テレジア
「私は金も信用も軍隊も経験も知識もなく、ついには助言者さえもいませんでした。なぜなら、彼らは皆、事態がどう展開するかを見てから動こうとしていたからです。」
エリザベス1世
「私は、かよわく弱い女の身体を持っていることを自覚しています。
しかし、私には王の心と胆力があるのです。」
テレジア
「もし地上で不死を望むことができるなら、それは困窮する人々を救う力を持つためだけです。」
ショーペンハウアー
「不死を望むことは、大いなる誤りを永遠に持続させることを望むことである。」
テレジア
「彼らは過去の無知と偏見を非難するが、過去について何も知らず、現在についてもほとんど知らない。」
エカチェリーナ2世
「ほとんどすべてを知っていることは、何も知らないことと同じです。」
テレジア
「世界中のダイヤモンドなんて、私には何の意味もありません。東インドから来るもの――特に漆器や布地だけが、私に喜びを与えてくれる唯一のものなのです。」
マリー・アントワネット
「私たちにはネックレスよりも74門の戦艦が必要です。」
ヨーロッパの格言にこうあります――
「戦争は他国に任せよ、幸運なるオーストリアよ、汝は結婚せよ。」
この言葉を体現したのが、“女帝”マリア・テレジア。
16人の子を次々と王侯に嫁がせ、血縁外交によって帝国の安定を図りました。
けれども、彼女の出発点は「幸運」とは程遠いものでした。
金も軍も信用もなく、さらには女性であるという理由だけで侮られた。
列強が領地の分割を目論む中、23歳の彼女は喪服のまま幼子を腕に抱きハンガリー議会に赴き、支援を求め危機を乗り越えました。
こうして、経験も知識もないまま皇位を継ぎな、国家を支え抜き女傑となってゆきました。
その存在は、エリザベス1世、エカチェリーナ2世と並び称されるにふさわしいものでした。
晩年の彼女は“ふくよかなバロック様式”で描かれたため、
その肖像が刻まれたマリア・テレジア・ターラー銀貨はエチオピアやアラブ世界で流通し、現地では「the Fat Lady(太った貴婦人)」というあだ名まで生まれました。
体重が200kgあったという逸話すらありますが、これは真偽不明です。ただ、彼女の存在感は間違いなく“重み”のあるものでした。