メッテルニヒ
「政治とは、諸国家の生死にかかわる利害についての科学である。」
ビスマルク
「政治とは、可能なことの芸術である。」
メッテルニヒ
「混乱は弱さの結果である。」
チャーチル
「悪人の悪意は、善人の弱さによって強化される。」
メッテルニヒ
「自分の力量に疑念をもっている人物には、自分が万能だと思っている人物ほどの危惧を、私は抱かない。」
アクエンアテン
「賢者はしばしば疑いを抱き、自分の考えを改めるが、愚者は頑なで疑うことがなく、自らの無知を知らない。」
メッテルニヒ
「個人の幸福とは、自分の権利を、他人の権利の範囲を尊重しつつ享受することにある。」
ロバート・アンスン・ハインライン
「愛とは、他者の幸福が自分自身の幸福にとって不可欠な状態である。」
メッテルニヒ
「平和には妥協と相互の尊重が必要です。」
ガンジー
「すべての妥協は、譲り合いに基づいている。しかし、基本的な原則に関しては譲り合いはあり得ない。単なる基本原則における妥協は、降伏を意味する。なぜなら、それは“与える”ばかりで、“受け取る”ことがないからだ。」
メッテルニヒ
「当たり前なことほど、理解されにくいものだ。」
アリストテレス
「真理からのわずかなズレは、後には千倍にもなって返ってくる。」
クレメンス・フォン・メッテルニヒは、19世紀オーストリア帝国の外交官であり、ウィーン体制の中心人物です。
1815年のウィーン会議で実質的に主導権を握り、ナポレオン戦争後の混乱に秩序を取り戻すべく、王政と保守体制の安定を築きました。
彼は、革命や民族統一運動に強い警戒心を抱いていました。
メッテルニヒ
「フランスがくしゃみをすると、ヨーロッパは風邪をひく」
──これは、フランスの政治的激変がヨーロッパ全体に波及することを端的に表した言葉です。
当時台頭しつつあったイタリア統一の動きに対しても、こう述べています。
メッテルニヒ
「『イタリア』という言葉は、ただの地理的な呼び名にすぎない。革命思想家が押しつけようとする政治的意味合いはない。むしろそれは、イタリア半島を構成する諸国家の存続そのものにとって危険に満ちている。」
国民国家という概念が台頭しはじめたこの時代、『イタリア』や『ドイツ』の統一運動は、多民族帝国にとって重大な脅威となっていきます。
メッテルニヒにとって、理性と節度に基づく秩序こそが、国家と個人の安定、そして自由や幸福の土台であると考えられていたように見えます。
近代保守主義の象徴的人物ともいえるメッテルニヒの「保守」とは、単なる過去への固執ではなく、『秩序』『均衡』『他者への尊重』を重んじる姿勢に根ざしたものだったと言えるでしょう。