ジャワ島は様々な要素を吸収し続けた

東南アジア

現インドネシアのジャワ島は歴史の流れで様々な変化を迎えて来ました。特にジャワ島は海の民とも言える人々のため、様々な外来のものが絶えず入ってきました。また世界の様々な国々の航路の要所として、様々な人々が立ち寄ったり、拠点にした場所とも言われています。

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元々は土着の信仰を持っていた

ジャワ島に様々な宗教が到来する以前は、サン・ヤン・トゥンガルを至高の神とした信仰がありました。ジャワ島では自然界の各々のものに霊が宿るという考え方をもとに、外からの信仰が融合し独自の信仰が展開していきます。もともと上記のようなアミニズム信仰が根付いていましたが、様々な宗教が入ってきたことにより、いつからかアミニズム的な信仰は正式には認められなくなりました。

2007年というごく最近になり、公式ではない宗教を信仰している人々同士の結婚がようやく認められることになりました。インドネシアは様々な島から成り立っている国です。そして各地域によって多数派となる信仰が異なるため、日々の習慣が同じ国でありながら異なる様相をみせ、休日の時期も異なったりもします。

他の国々と比べても特にインドネシアといえばこうだという風にカテゴライズをするのが困難な国とも言えます。逆に言うとこのように多様性に溢れている部分がインドネシアの特徴と言えるでしょう。立地による影響も大きいですが、オーストロネシア系のルーツの人々らしく柔軟に様々なものを吸収し生きてきた人々の現在の姿のように見えます。インドネシアでは特に色濃くそのような傾向が表れているようです。

様々な教えの到来

ジャワ島では周辺の国々の様々な宗教広まっていきました。初めに当時の大国であるインドから7世紀の末に仏教やヒンズー教が伝わります。インドでもまたヒンズー教と仏教は、各々に育まれていきました。時には文学作品に双方が影響を与えるほどに。ジャワ島では時の経過と共にヒンズー教が主流になっていきます。

ジャワ島には様々な宗教的な建造物があります。仏教関連の建造物としてボロブドゥール、ヒンズー教関連ではプランバナンなどが建造されました。13世期頃からイスラム教が伝わるまで長くヒンズー教の勢力が強かったです。お隣のバリ島でも8世紀から9世紀に、ジャワ島から仏教やヒンズー教が伝わりました。しかしバリのヒンズー教として形を成したのは15世期より後です。

イブン・バットゥータの来訪

アフリカ北西にあった王朝であるマリーン朝の出身であるイブン・バットゥータは、ヨーロッパやアジア全土を渡り歩いた旅行者です。東南アジアのスマトラ島に上陸したのは、14世期半ばです。その後ジャワ島はイスラム化していきました。

幾重の外からの人々の接触により生活が形成

ジャワ島はもともとあったアミニズム的な土台の上に幾重もの文化が上積みされていきました。インドとイスラム的なものが融合した独自の世界を形成し、文化においてはインドが、宗教的には大まかにいうとイスラム的という構造が出来上がっていきます。さらにそこに中国的な要素まで加わり、現在のジャワが育まれていきました。

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