アレクサンドロス大王の名言集

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①戦いに関する名言3選

⑴「勝っているときこそ多くの危険が潜んでいる。」

⑵「私は勝利をくすねるような真似はしない。」

⑶「武力により得たものは長く続かないかもしれないが、慈愛と節度により得た愛は永遠である。」

アレクサンドロス大王は単なる軍事的天才ではなく、
戦略・誇り・統治哲学のすべてを兼ね備えた人物でした。
彼の名言からは、
戦争をする者としての慎重さ、誇り高き戦士の精神、
そして長期的な視点を持つ統治者の知恵が感じられます。
だからこそ、彼の偉業は単なる征服の歴史ではなく、
「どのようにして帝国を築き、維持するか」という
普遍的な課題への答えとして、
現代にも語り継がれているのでしょう。

 

②死に関する3選

⑴「死んだ後、十分に良い世だったと思えない者には墓が必要だ。」

⑵「私の体を埋葬しても、記念碑は建てるな。世界を征服した人間でも死んだら何も残らないということが、皆が分かるように。」

⑶「私を生かそうとする医者が多すぎて死にそうだ。」

アレクサンドロス大王が「墓は必要ない」と語った背景には、
ギリシア、ペルシア、エジプトなど
多様な思想から養われた死生観の融合と、
先人たちの歴史から彼自身の哲学的悟りがあったのかもしれません。
彼の見解は同時代の慣習からすれば
独特ではありましたが、
広範囲に渡り世界に君臨した大王ならではの
卓越した思想とも言えます。
彼の言葉は歴史を超えて生き続け、
人々に死の平等と生の意義を問いかけているでしょう。大王が残したものは広大な帝国だけでなく、
「死後に何を遺すべきか」という普遍的な
問いへの答えであったかもしれません。

医者の名言に関しては、
多くの医者が各々の治療法を試そうとすることで、
かえって病状を悪化させ、
最終的には命を縮めてしまうという皮肉や、
優秀な医者が集っても、
死という運命を避けることはできず、
無意味であることへの諦観。
もしくは「医者」は彼を取り巻く後継者候補たちを
指しており、王を救う名目で動きながらも、
実際には各々が自身の権力争いに奔走し、
その混乱が帝国の命運を縮めているという
権力闘争への批判的な暗喩なども
込められていたかもしれません。

アレクサンドロスが自身の死を悟り、
周囲の状況を冷静に見つめながら、
医療行為や政治的混乱に対しての無力さを実感しつつ、
彼は独自の思想も組み入れ墓石を
不要としたのかもしれません。
しかし彼は歴史という不朽の記念碑の中に
その名を永遠に刻む事になりました。

③行動に関する名言3選

⑴各々の行動如何で、我々の運命が決まることを忘れるな。

この名言は戦術面から生まれた可能性が高いですが、
あなたは組織においての行動は何を重視していますか?

大王はファランクスと突撃隊形の騎兵を緊密に連携させ、各兵士・各部隊が持ち場で最大限の働きをすることで勝利していったと言われています。
大王は「部下一人一人の行動如何で全軍の運命が左右される」ことを深く認識し、徹底した訓練と規律で軍をまとめあげていたのでしょう。
実際ファランクス戦術は、一人が隊列を乱せば全体の崩壊につながりかねないものでした。
この名言はそうした背景から生まれたと言う説がありますが、大王が実際にこの名言を言ったという事は古代の史料に記録されてはいない様です。
彼の統率者としての在り方が垣間見れます。

⑵挑戦し続ける者にとって不可能なことは何もない。

英雄たちの名言は時折重なる事もあります。
「余の辞書に不可能という言葉はない」と言ったナポレオンの様にアレクサンドロス大王もまた似た様な名言があります。
大王は「智勇」と「蛮勇」のどちらだったのでしょうか?
もしくはその両方か。

一説にはシシミスレスの難攻不落の砦を包囲した際、兵たちが尻込みする中で大王は敵将の気質を尋ね「敵将は極めて臆病だ」との情報を得ました。
大王は「指揮官が弱腰なら、この砦は取れる。」と言ったとも言われています。そして巧みな脅しと強襲により城砦を陥落させました。
大王の言葉は「勇敢に挑めば不可能はなく、臆病であれば安全ではない。」ともとれます。
そして、この逸話からこの様な名言となっていったとも言われています。

⑶正しい心構えさえあれば、自ら課した限界は消えてしまう。

大王は若かりし頃、「父上は僕に成すべき偉業を何も残してくれないだろう。」とぼやいていたとも言われています。傑物である父の元、決められたレールに対する虚無感からなのか、自ら限界を定めてしまっていたのか、アレクサンドロス大王ですらこの様な時期があった様です。
彼は限界を決めたまま生きてきたのか、もしくは限界を強い意志を持って取り払っていったのでしょうか?
それとも覇道を突き進む中で、自然と限界は消滅していったのでしょうか?

今回の名言は、どちらかといえば大王の生き様から後世が要約したものとして広まったものとも言われています。
大王は父をも超える版図、周囲から無謀とも思われる程の行動を実践など、限界を感じさせない人生を歩んできました。
ゲドロシア砂漠での60日間に及ぶ過酷な行軍では、大王は部下が持ってきた貴重な水を砂漠に撒き散らし、「君たちのおかげで喉の渇きは癒えた」と言いました。その行動で部下の指揮は上がりました。極限状態でも自身の心構えを忘れずに、自らに限界を設けない姿勢を体現していきました。
統治面でも大王は、常識に囚われない姿勢で帝国経営に臨みました。征服地では現地の文化を尊重しつつ、ペルシア風の服装を採用したり、マケドニアと東方を融合させる同化政策を推進しています 。それまでの自国の常識では異例の方針でしたが、大王は「態度次第で壁を乗り越えられる」と信じ、部下の反発を受けても諦めずに各地の諸民族と協調しようとしたと言われています。

 

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