チリのサンティアゴを作った人物ペドロ・デ・バルディビア

南アメリカ
ペドロ・デ・バルディビア

南米は大航海時代に様々な国がこぞって征服に来た地でもあります。今回は征服者の1人であり、ペドロ・デ・バルディビアに関してみて行きましょう。征服者の中でもペドロ・デ・バルディビアはチリに深く関わりがある人物です。

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ペドロ・デ・バルディビアとは

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スペイン王国に属する征服者です。フランシコ・ピサロの片腕であり、イタリア戦役に長く関わっていました。その後南米に行き、少数の兵でペルーの南部を占拠する為、進軍しました。そしてその後はチリの征服者と名を馳せた人物です。

イタリア戦役とは

主にフランスとオーストリアの間で行われ戦闘で、戦闘地がイタリア北部で行われた諸々の戦闘のことを言います。ナポレオンやフラシスコ・ピサロなど有名な人物も関与していました。1797年のカンポ・フォルミオ条約により終結しました。

サンティアゴを作る

チリの現首都でもあるサンティアゴはこの時期に建設されました。ペドロ・デ・バルディビアの進軍は止まらずペルーよりさらに南下しました。そして現チリにあるサンティアゴ市を作りました。

ペドロ・デ・バルディビアの最後

後世にも残る都市サンティアゴを作ったペドロ・デ・バルディビアですが、マプチェの手により殺されることになりました。サンティアゴを作った後も、ペドロ・デ・バルディビアの侵攻は止まることを知らず、さらに深く南下して行きます。しかし先住民の応戦も激化して行きました。

一旦ペルーに戻るチリ総督になる

援軍求める為に一旦ペルーへ帰還します。そこで新たな事件が起きます。フラシスコ・ピサロの死後、異母弟のゴンサロ・ピサロがスペインに対して反乱を起こしました。ペドロ・デ・バルディビアはゴンサロ勢の鎮圧に加わり功を挙げました。そして評価がより高くなり、チリ総督就任します。

英雄ラウタロに敗れる

ラウタロ

出展:AI画伯を使用した自身の画像より引用

しかしその後、因縁の深いマプチェの英雄ラウタロと戦闘し敗北します。ラウタロはスペイン軍に捕らえられ、ペドロ・デ・バルディビアの召使として幼少期を過ごした先住民です。その為スペイン軍の戦い方を熟知しており、勢いにのるチリ総督すら敵いませんでした。

チリの町トゥカペルでの戦闘により、ペドロ・デ・バルディビアは捕らえられることになります。そしてマプチェの手により処刑されました。英雄ラウタロに関してより詳しくお知りになりたい方はこちらの記事も併せてご覧ください。

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征服に生きた人物の末路

ペドロ・デ・バルディビアは常に戦と共に生きていました。また劣勢と見るや帰還したりと、いくさを見極める目を持ち合わせた人物かもしれません。確かに当時のスペインは最新鋭の兵器を用いて征服活動を行なっていた為、南米の先住民は士気は高かったとしても基本的になす術がなかったでしょう。

しかしその様な中スペイン側の手の内を知るラウタロが現れ一気に形成が逆転しました。そしてペドロ・デ・バルディビアは絶命したと言えます。征服に生きて、最終的には征服の因果に命まで呑まれてしまいました。

ラウタロに関する記事はこちら

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