【5/21生まれ】フェリペ2世の言葉3選

西ヨーロッパ

フェリペ2世
「多くの王国を統治するよう私に与えた神は、
それらを統治するに
ふさわしい息子を私に与えなかった。」

ピリッポス2世
「息子よ、
お前の野心にふさわしい大きな王国を見つけよ。
マケドニアはお前には狭すぎる。」

 

 

フェリペ2世
「異端者を支配する王であるよりも、
すべての領土と命を100回失う方がましだ。」

 

トーマス・ジェファーソン
「隣人が二十の神を信じようと、神を信じなかろうと、
私にとって害はない。
それは私の財布を盗むことも、脚を折ることもない。」

 

 

フェリペ2世
「もし私の息子が
カトリック教会に反逆するようなことがあれば、
私は自ら彼を焼くための薪を運ぶだろう。」

 

バートランド・ラッセル
「理想主義と見なされるものの多くは、
偽装された憎しみか、偽装された権力欲である。」

フェリペ2世は、父カルロス1世から王位を継承し、戦場を駆け回った父とは対照的に、「慎重王」「書類王」として知られました。宮廷にこもり、膨大な書類を通じて広大な帝国を緻密に統治しました。

熱心なカトリック教徒として宗教統一を推し進めましたが、フランスやオスマン帝国、ネーデルラント、イングランドとの対立によって、国家財政は次第に圧迫されていきました。

長男ドン・カルロスはその行動(脚色や政治的プロパガンダも含まれている可能性あり)から「狂気の子」と呼ばれ、カトリックと対立していたネーデルランドへの逃亡を図るも、逮捕されました。フェリペ2世の命により幽閉され、23歳で死亡します(暗殺説もあり)。この父子の悲劇は、ヴェルディのオペラ《ドン・カルロ》にも描かれています。

1580年にはポルトガルを併合し、スペインはヨーロッパからアジアにまたがる大帝国となりました。その広大さから「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるようになり、フェリペ2世の治世はスペイン帝国の最盛期として記憶されています。

イングランド女王メアリー1世(ブラッディ・メアリー)と結婚し、彼女の苛烈な宗教政策にも影響を与えたとされています。メアリーの死後は、異母妹のエリザベス1世に求婚しましたが拒絶され、両国関係は悪化。1588年には無敵艦隊をイングランドへ派遣しましたが、アルマダの海戦で敗北を喫しました。

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