「独創的な作家とは、
他人の模倣を避ける者ではなく、
誰にも模倣され得ない者である。」
9月4日生まれ。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンの名言

【栄光と美徳】
「栄光を必要以上に軽蔑してはならない。
美徳を除けば、それ以上に素晴らしいものはない。
この世で最高の幸福とは、
両者を兼ね備えることであろう。」
「アキレスはホメロスを通じてのみ存在する。
この世から書くという技術を取り去るなら、
おそらくこの世から栄光も取り去られるだろう。」
「アレクサンドロスは
通った所に都市を築いた。
私は生きてきた跡に夢を残した。」
【世の中】
「世界を忌まわしいものとして
みなしたからといって、
それだけで優れているわけではない。」
「森は文明に先行し、
砂漠は文明の後に続く。」
「あらゆる制度は三つの段階を経る――
有用、特権、そして濫用である。」
【生き方】
「あなたが悪いと思うことが、
子どもの才能を引き出すかもしれない。
逆に、良いと思うことが、
その才能を押しつぶすかもしれない。」
「人生の達人は、仕事と遊び、労働と余暇、
精神と肉体、教育と娯楽の間に明確な区別をつけない。彼にはそれらがどれであるか、
ほとんど分からないのだ。」
「私は名誉のためにブルボン家の人間であり、
理性と信念によって王党派であり、
趣味と性格によって共和主義者である。」
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは、フランスの作家・政治家で、スタール夫人と並びフランス・ロマン主義の二大先駆者と称される人物です。若くしてバスティーユ襲撃を目の当たりにし、フランス革命の激動を経験しました。亡命やアメリカ滞在を経て執筆活動を始め、自然や信仰、歴史など多様なテーマを壮大に描きました。代表作には『キリスト教精髄』や、自らの生涯を回顧した大著『墓の彼方からの回想』があります。
政治家としては、ナポレオンを「ネロ」になぞらえて痛烈に批判し、職を失ったり、パリにいられなくなりました。その後も革命批判を続けたためナポレオンに疎まれ、王政復古まで本格的な活動はできませんでした。ナポレオンの死後にはブルボン王家を支持したものの、ルイ18世の政策に異を唱えて嫌われ、やがて過激王党派に接近します。しかし1820年のベリー公暗殺事件を機に再び王と和解し、プロイセン大使・イギリス大使・外務大臣といった要職を歴任しました。
シャトーブリアンは、ユゴーやラマルティーヌら後世の文学者に大きな刺激を与えただけでなく、19世紀フランスの文化全般を象徴する存在となりました。
また、政治的立場から彼を嫌悪していたスタンダールさえ、彼の心理分析を活用しました。
ちなみに美食家としても知られ、諸説ありますがステーキの「シャトーブリアン」は、彼の料理人モンミレイユが工夫した調理法(厚切りのヒレ肉を独自の方法で焼き上げ、ソースを添えた)を供したことが由来とも言われ、後に肉の部位を示す言葉に変わったとも言われています。
さらにモンミレイユは、当初「シャトーブリアン・プリン」と呼ばれたデザートの考案者でもありましたが、こちらは後に「外交官のプリン」と呼ばれるようになりました。