歴史と共に変化していったドイツのクリスマスケーキ-Stollen(シュトレン)-18世紀~現代

西ヨーロッパ

前回はStollen(シュトレン)が生まれてからどのような歴史を歩んできたか17世紀頃までの時代に関してご紹介してきました。今回は世界の近代化とともにStollen(シュトレン)がどのように変化していったかに関して見ていきましょう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

18世紀のStollen(シュトレン)が現代のタイプの祖?!

ザクセンのヘラクレスの異名を持つフリードリヒ・アウグスト1世は大きなイベントを開催しました。その時2万を超える招待客のために長さ1.8メートル、幅3メートル、高さ30センチ、その重さは1.8トンもある巨大なStollen(シュトレン)の作成を命じました。

卵やミルク、小麦粉などを大量に使用されました。作成されたのは巨大さ、時期や使用されている素材は微妙に違いますが、現代定着しているStollen(シュトレン)の祖となったタイプとも言われています。

ドライフルーツの使用は十字軍の頃から活性化?

現代のStollen(シュトレン)の様にドライフルーツが使用された時期に関しては厳密には分かっていません。ドレスデンより少々離れた地であるトルガウの職人であるハインリヒ・ドラスドという人物がドライフルーツ、さらにアーモンドなどを使用し始めたという説があります。ただ特にドライフルーツの使用が拡散していったのは十字軍の遠征が影響しているとも言われているようです。

なぜなら十字軍が地中海やペルシアなどからレーズンを持ち帰ったことが転機にレーズンの需要が増加し、16世紀にはドイツでもぶどうの栽培が盛んになり、17世紀にはいるとヨーロッパの料理では欠かせないものとなっていたとも言われています。

Stollen(シュトレン)同様にクリスマスの時期に食されるLebkuchen(レープクーヘン)の16世紀頃のレシピにはアーモンドやオレンジ、レモンピールなどを使用されているものがあります。これは交易路の発展と比例していおり、同様にStollen(シュトレン)作成にも影響を与えていた可能性が高いです。

ザクセンと言えばStollen(シュトレン)

1786年にゲーテと並ぶ古典主義の代表格である詩人、歴史学者、劇作家でもあるフリードリヒ・フォン・シラーが友人に宛てた手紙からはザクセンのお土産にStollen(シュトレン)を所望した記録が残っています。

19世紀まで富裕層の食す高級ケーキだった

砂糖の工業生産が活性化し始め、Stollen(シュトレン)にも砂糖が塗される様になっていきます。ただ当時は豪華なプレゼントや食事を行うクリスマスは主に富裕層の行為であり、大都市などで貿易を営むような大家の嗜みだったようです。

ようやく一般的な人々の食べ物になる

20世紀に入りようやく一般の人々にもStollen(シュトレン)が浸透して行きます。物資も豊かになっていき現代の様々な素材を混入するタイプのStollen(シュトレン)となっていきます。ただしばらくの愛は一般的な家オーブンでは焼けるようなものではなかったため、材料を揃えてパン屋に行き特別なオーブンを借りて作っていたようです。

ケーキ屋ではあまり販売していない

なぜならイースト菌という発酵したパンを使用するためパン屋で売ってる場合の方が多いです。日本でも浸透してきており、日本のパン屋でも最近はStollen(シュトレン)が多く陳列されているお店が増えてきました。私の家では今年もStollen(シュトレン)を作成しましたが、改めて調べてみて来年はアーモンドを入れたものに挑戦しようと思いました。

Stollen(シュトレン)の歴史の14~17世紀に関してはこちら

歴史と共に変化していったドイツのクリスマスケーキ-Stollen(シュトレン)-14~17世紀
私の家では毎年年末になるとStollen(シュトレン)を食すのが恒例になっています。日本でもクリスマスの時期になるとStollen(シュトレン)を販売するお店も多くあると言えるでしょう。そこで今回はStollen(シュトレン)の歩んできた歴...
タイトルとURLをコピーしました