古代タミル文学と二大叙事詩-インド亜大陸

南アジア

南インドやスリランカに住み、ドラヴィダ系の流れを組むタミル人と呼ばれる人々がいます。古の時代からインド亜大陸に住んでいたタミル人たちはアーリア人の侵入により、南に追いやられたそうです。インドというとサンスクリット文学が有名ですが、タミル文学もまた古の世界を知る上で興味深い作品が多いです。

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タミル文学

インドの古代の文学というと「ラーマーヤナ」、「マハーバーラタ」などの長い叙事詩を真っ先に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ただそれらの作品だけでなく、他にも魅力的な作品が多数あるようです。現在インド亜大陸では少数派にあたるタミル語を話しいた人々による生まれた文学作品も古代には存在しています。

古代タミルの5つの叙事詩

古代のタミル語文学で最も有名な作品は5つほどあがるようです。特に有名な作品は「シラッパディハーラム」、「マニメーハライ」の2作品で二大叙事詩とも言われています。他には「クンダラケーシー」、「チンターマニ」、「ワライヤーパディ」などがあるそうです。ただこの中では一部が現存、もしくはすでに現存していない作品も含まれるそうです。

叙事詩とは?

出来事や物事を韻文(似たような響きを一定の位置や、感覚を空けて並べているように表現をする文文)で表し、比較的長編の作品のことを言います。題材となるのは、その地域もしくは民族の英雄譚や神話、歴史的な事や事件を扱うことが多いです。口伝や吟遊詩人を通して語り継がれることご多く、当時の教養のベースになるケースもあります。現在では文字に起こされて、歴史的な資料として残存するものも少なくないです。

各々の宗教が描かれた作品

また古代タミル人は様々な宗教を信仰しており、主にジャイナ教や仏教を信仰していました。「マニメーハライ」と「クンダラケーシー」は仏教的な作品で、他はジャイナ教的な作品になります。同じタミル語の文学作品でありながら、異なる宗教的な作品が幾つも生み出されました。ここでは古代タミルの二大叙事詩にクローズアップしていきます。ちなみにジャイナ教と仏教は6世紀なると影を潜め、ビシュヌ教とシバ教が台頭してきました。

シラッパディハーラム


5世紀半ばに、ジャイナ教の考え方に近いイランゴー・アディハルが作った作品と推測されているようです。当時のジャイナ教には勢いがあり、宗教的で、倫理的な作品が数多く輩出されました。カンナギという女性が主人公になります。カンナギは貞淑な人物でした。しかし不幸が訪れてしまいます。夫コーラワンは王妃のアンクレットの窃盗犯に仕立て上げられ殺されてしまいました。

カンナギは王妃のアンクレットを夫が盗んだわけではなく、夫が持っていたのはカンナギのアンクレットだということを証明してみせます。王妃のショックは大きく亡くなってしまいました。さらに夫を罠に嵌めた者を国王が捕らえました。ここで一件落着といぬわけにはいかず、カンナギの怒りは収まりませんでした。しまいには怒りのあまり雷が巻き起こり国を滅してしまいます。そしてカンナギが亡くなった後は神にまでなってしまいました。

仮面劇ソカリ

スリランカの中央からやや南西部にあるバドゥッラで行われます。ソカリの内容はシラッパディハーラムをベースにして構成されています。ソカリは神々が登場する仮面劇の代表的なものと言えるでしょう。タミルの叙事詩を取り上げてはいますが、ソカリを行う人々はシンハラ人です。

雨季が始まる9月の辺りに行われ、稲などの作物の豊穣を祈るために行われます。劇の内容には、アジアの仮面劇にしばしば見られるような、性を扱ったユーモアやギャグを散りばめられているようです。

近年映画化もされた「パッティニー」

パティブラターナとは貞淑を意味する言葉で、貞節の妻のことをパッティニーと呼ぶそうです。数年前にスリランカでも「パティニー」という題名でシラッパディハーラムの叙事詩が映画化されました。南アジアの素敵な音楽に乗せて、パティニーに役の方も正に南アジアンビューティーといった感じの壮麗な美しさがあります。南アジアの世界観を垣間見ることの出来る良作です。

シンハラ語の作品となっており、ソカリ同様タミルの文学でありながらシンハラが関わっています。シンハラ人はアーリア系の人と、タミル人などのドラヴィダ系の人との混血からなる人々がそう呼ばれています。

そしてスリランカの人口の7割を占めています。パティニやソカリは、憶測の域を出ませんが、複雑なスリランカの民族間の融和のために手助けとなっているのかもしれません。ちなみにカンナギという名は様々なインド系の映画でも良く登場する名でもあります。それほどカンナギはインドの世界において印象的な人物でもあるようです。

マニメーハライ

こちらは前述の作品の続編にあたるような叙事詩になります。著者が異なりジャイナ教よりの人物ではなく、サータナルという仏教徒の手により作られました。どちらいうと前作より文学的な表現は控えめで思想書的な雰囲気があります。ジャイナ教やアージーヴィカ教の教えが仏教の教えとの比較のために取り上げらているようにも見えました。

仏教的要素も強く、難解な表現が多くあるためか、現代のタミルの人々にはあまり馴染みある作品ではないようです。前作では、コーラワンはカンナギの元へ戻り、心機一転生活していこうとした矢先に無実の罪で殺されてしまいます。カンナギの元を一時期離れコーラワンと一緒いた女性にマーダヴィという人物がいます。

コーラワンとマーダヴィは娘をもうけていました。その娘を中心とした物語です。彼女は巷でも評判の美人に成長しますが、男性の誘惑に身を委ねることはありません。そして日々母が父親を弔うことに明け暮れてる姿を傍らで見ているうちに、幼い頃から霊的なことを意識するようになり、幾つもの神秘的な出来事を体験していきます。

古代二大タミルの叙事詩

古代のタミル文学では、ジャイナ教と仏教的な側面で作品が作られており、当時のタミルが複雑であったことが窺えます。そして二大叙事詩であるシラッパディハーラムは芸術の度合いが強く、マニメーハライは宗教色の強い作品のようです。どちらの作品も古代インド亜大陸を知る上では興味深い作品と言えるでしょう。

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