様々な長い戦争が歴史上ありますが、ポエニ戦争を除けば、世界で最も最長の戦争とも言えばアラウコ戦争だと思います。
歴史上最長の戦争とは?
ペロポンネソス戦争、薔薇戦争、百年戦争、シリー諸島の335年戦争など数々の長い戦争が幾つかありました。また、終結するまで2000年以上もかかったポエニ戦争、youtubeドラマ「アラウコの叫び」で描いているアラウコ戦争に関して、期間と詳細に関してまとめてみました。
ペロポンネソス戦争(紀元前431年〜紀元前404年)
このブログを開設して1年近く経ちますが、ペロポンネソスについて触れるのは初めてです😅
ペロポンネソスと言えば、世界史の授業を受け始めて、どんどん楽しくなっていく頃に飛び込んでくる名前として思い出に残ってる、個人的にはそんな印象です。
アネナイと同盟国 vs スパルタとペロポンネソス同盟
終結まで約27年かかった戦争です。最終的には大国ペルシャがスパルタをアシストした為、スパルタ側が勝利しました。
薔薇戦争(1455〜1487 or 1399?〜)
終結までは約32年かかった戦争と言われてますが、歴史家によって勃発時期に対する考えが分かれています。セント・オールバーンズという町を皮切りに争いが起こりした。
白薔薇のヨーク家 vs 赤薔薇のランカスター家
イングランドの名家同士の内乱で、両家とも薔薇の紋章を掲げていた為、薔薇戦争と呼ばれています。
百年戦争(1337〜1453)
100年と言われてますが、厳密には116年間と言われてます。100年と名がついてることからも、歴史上最長の戦争という印象がある方も少なくないかもしれません。
イングランド vs フランス
中世において最も有名な戦争の一つであり、イングランドのエドワード3世がフランスに攻めたことに始まる戦争です。イングランドはフランスの領地を奪い続けるという展開になります。しかし、1429年にフランスはスコットランドの助けをかり巻き返しを図りしました。そして、フランスがイングランドを領地内から全面的に追い出すことに成功して、戦争が終結となりました。
335年戦争(1651〜1986)
アラウコ戦争とこの戦争でどちらが最長か意見が分かれることがあるそうです。犠牲者がほとんどいない、少し特殊な戦争でした。シリー諸島側の歴史家の気付きにより、オランダ側に戦争をしていたことに気付かせ、平和条約が結ばれるという形で幕を閉じました。
オランダ vs シリー諸島
イングランドの国王派がシリー諸島へ退いたことから始まります。国王派と争っていたイングランドの議会軍は当時オランダと同盟を結んでいた為、オランダがシリー諸島へ向かうことになりました。しかし、その後オランダがいよいよ攻撃するという時に、シリー諸島の所有権は移り変わってしまった為、戦争自体うやむやになってしまいます。そして、何年もの月日が流れ、忘れた頃に戦争が締結しました。
ポエニ戦争(紀元前264〜1985)
ハンニバルに、スキピオと名だたる英雄が名を轟かせた戦争と知られています。ちょっとした経緯によって、2000年以上続いた戦争として再び注目されました。
ローマ vs カルタゴ
紀元前146年にカルタゴの滅亡によるポエニ戦争は終了という認識が一般的かもしれません。しかし、書面で戦争を締結したわけではない為、ローマとチュニス(カルタゴの衛星都市)の市長同士が1985年に終戦の条約を交わし、ポエニ戦争を終結させたとしています。このような形で終結とした場合は、これからより最長の戦争が誕生してしまうかもしれません。
アラウコ戦争(1536〜1883 or 1825?)
ポエニ戦争など特殊なケースもありますが、現実に血を流し合い、戦争をしていたという点ではアラウコ戦争が最長ではないでしょうか。確かに、ずっとイスパニアとマプチェはいがみ合ってた訳ではなく、交易もしていたという話もあります。しかし、基本的にバチバチにやりあっています。
直に交戦状態という意味では最長の戦争
1825年にイスパニアから独立を試みたチリが、勝利し平和条約を結んだ時点で戦争を終結とみる考え方もあります。
1883年までとするケースは、フランスの冒険家がアラウコに国を建てて、その国が制圧されたことで、一連のアラウコ戦争の終結とする考え方の為、マプチェ対イスパニアという形とは少し違うかもしれません。
とは言え仮に289年で計算したとしても、335年やポエニ戦争と違い、直に交戦状態が継続していた戦争としては歴史上最長だと思います。
アラウコの叫びの紹介文を考えていて
今日はアラウコの叫びの紹介文を改めて考えてました。歴史上で最長の戦争、この辺りをもう少し強調したい所です。大航海時代に入り世界の各地域が植民化される中、当初は武器も雲泥の差があったにも関わらず、近代まで抗った稀有の地域、それがアラウコです。
今後の物語の展開
1883年までの歴史を「アラウコの叫び」の物語を作る予定はありません。おそらく作ったとして、1825年までだと思います。とは言えレイノウェレン戦いから始まる60年間だけでも相当なボリュームがある為、観ていただける方の反響次第ではそこまで作るかもしれません。以後のストーリーはサブストーリーやスピンオフで投稿する可能性もあります。
今日の名画
アラウコの叫びの紹介文とはあんまり関係ないですが、素敵な感じになったので今日の投稿画像はこちらにしました。
Карл Брюллов «Всадница»
カール・ブリューロフ「乗馬姿の貴婦人』(1848)をイネスでrefaceです。偉大なカールと呼ばれたロシアの画家の作品になりす。カール・ブリューロフは、ロシアの新古典主義からロマン主義にかけての重要な存在です。