イタリアの有名な剣士というとフィオレ・ディ・リベリの名が挙げられます。イタリアだけではくヨーロッパを代表する剣士の一人とも言えるでしょう。宮廷での武術指南役として非常に人々に信頼されていた人物です。そこでまずはフィオレ・ディ・リベリの出生に関して見ていきましょう。
フィオレ・ディ・リベリはイタリア武術の魁の人物
出展:AI画伯を使用した自身の画像より引用
16世紀のカミーリョ・アグリッパ、17世紀初頭のサラバトール・ファブリスなどイタリアには有名な剣士がいました。しかし彼らよりも早く頭角を現していた剣士がいます。それは15世紀前後に名を挙げていたフィオレ・ディ・リベリという人物です。
フィオレ・ディ・リベリとフィリッポ・ヴァーディの流派は、現代に記録として残ってる中世ヨーロッパの武術の特徴を強く表している代表的なものです。ちなみにフィリッポ・ヴァーディ自体もフィオレ・ディ・リベリに直接影響を受けたと言われています。そのためフィオレ・ディ・リベリはイタリアの武術の源流と言える存在かもしれません。
フィオレ・ディ・リベリの生まれ
フィオレ・ディ・リベリは省略した名前であり、フィオーレ・フルラーノ・デ・シヴィデール・デ・オーストリア・デッリ・リベリ・ダ・プレマリアッコと言います。以前私のイタリアの友人でも非常に長い人がおり、一度名前の長さに関して尋ねたことがありました。友人の言によると長い分だけ歴史が古い家なのだと言っていました。フィオレ・ディ・リベリは名家の生まれなのでしょうか。
1350年にイタリアのチヴィダーレ・デル・フリウーリの貴族階級の生まれです。チヴィダーレ・デル・フリウーリは現スロベニアとの国境付近にあり、古ではカエサル築いた都市であるとも言われていおり、中世イタリアでは政治における中心都市の一つでもありました。
12世初頭に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世が貴族の地位を与えたと言われているプレマリアッコのクリスタッロ・デイ・リベリの末裔であるという説があります。ただし単に同じ名前を持つだけで全く繋がりがないのではという説まであり明確ではありません。
残した武術からの推測もある
一説にはフィオレ・ディ・リベリの残した武術の技に騎馬の技があるらしいのですが、そのような技術は先祖の貴族から受け継がれてきたものではないかという説もあるようです。ゲルマンの流れを汲む下級貴族という説もあれば、高名な貴族という説まであり今となっては決定的な証拠が出てこない限り真相は闇の中と言えるでしょう。
フィオレ・ディ・リベリの出生は定かではない
ここまでフィオレ・ディ・リベリの出生の情報に関してまとめてきました。様々な憶測が飛び交っておりフィオレ・ディ・リベリが高貴な出なのかは結局定かではありませんでした。宮廷の武術の指南役にまでなった人物のため、出自を偽り出世した可能性もあるかもしれません。しかし本当にハインリヒ5世の時代から続く名門貴族の出であるならば数世紀を跨ぐ非常に由緒ある家柄と言えます。