太古の仮面ブルトゥクがある風葬で有名なトルニャン村-バリ島

東南アジア

インドネシアの島の1つであるバリ島にあるトルニャン村は太古の名残を色濃く残す村として知られています。どちらかというと風葬を行う村として知られているようです。トルニャンでは他にも太古の仮面ブルトゥクという個性的なものがあります。

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古代の仮面ブルトゥク

ブルトゥクは太古からトルニャン村に伝わる歴史のある神聖な仮面です。ブルトゥクを被った舞は、おそらく世界の様々な地域と同様に宗教的な儀式に用いられ、トルニャンの人々の間で育まれていったものと言えるでしょう。現在はパフォーマンスとしても用いられているようです。

踊り手がトランス状態になり、精霊などが憑依しているかのような神聖な舞とも言えます。バリ・アガと呼ばれる先住民族はヒンドゥー教の影響が少なかったようです。ブルトゥクの舞はバリにヒンドゥー教が取り入れられる前の様相が色濃く出ています。バリ島にヒンドゥー教が浸透していったのは、14世期のようです。

ブルトゥクを被った出で立ち

ブルトゥクの仮面の他に乾燥したバナナの葉の繊維を首や胴体に結びつけて着用します。いかにも南国の民族的な祭祀の出で立ちをしていると言えます。

ブルトゥクの仮面の舞にあたって

世界の様々な地域の舞と違い、ブルトゥクの仮面の舞には音があります。通常は音と合わせて、人々をトランス状態に誘うような形式の舞が多いです。しかしブルトゥクはそのような典型系的な形式に当てはまらない点は興味深いと言えます。

ブルトゥクの仮面の舞の演者達は、舞を行う前に浄化儀式を受けます。また演者達は未婚の男性で構成されています。また舞いまでの間隔離された空間で過ごすことになります。神殿のような場所で就寝し、儀式に関して学ばなればなりません。そのように高められた状態で舞に臨むことになります。

トルニャン村

日本人的にはこの村の名前の響きは何か可愛らしい感じがしてしまいます。しかしパッと見た感じの村の様相は、昨今の物語でもよくある様な可愛い名前を持つ怖い存在のようなギャップを感じるかもしれません。美麗で知られるバトゥール湖の東岸、バリ島の中では北東部に位置します。トルニャン村では現在も独自の文化の中いき続ける村で、近隣の住民達も近寄らないそうです。人口は僅か600人ほどの小規模な村です。

今なお風葬が行われている

一般的に世界では火葬や土葬を行いますが、中には自然葬と呼ばれるスタイルがあります。有名なものでは鳥葬などがあり、他には水葬、冷凍葬、樹木葬、そして風葬です。ただ広い意味では火葬や土葬も自然葬に含まれます。バリ島では一般的には火葬が行われています。そのような背景の中でも今もなおトルニャン村は風葬を行っている希有の村です。風葬とは亡骸を放置し、自然に風化させるスタイルになります。

トルニャンの風葬

竹で亡骸を覆うなどの工夫をして、動物などからダメージを受けないような配慮がされています。また新しく人が亡くなると、遺体らが収められている中で最も古い頭蓋骨は場所を移され、そこへ新しい死者の骸が竹の中へ納められます。

誰もが風葬されるわけではない

竹に覆われている風葬の場所はセマ・ワヤンと呼ばれています。結婚をした者のみがここで風葬を受けることができ、未婚の者や子供などは土葬になります。こちらの土葬のエリアはセマ・ムダと呼ばれているようです。

 

トルニャン村では死者の境遇により収められる場所が変わります。自殺あるいは他殺により亡くなった場合も土葬になりますが、その場合はセマ・バタスというエリアに納められることになります。トルニャン村の人々にとって結婚は非常に重要で特別なものと言えるかもしれません。

原始的な文化を残しつつも今を歩む村

特にインドネシアは土着の文化や信仰の上に様々な外来のものが重なりあい、今に至る国です。そのようなエリアの中でバリ島にあるトルニャン村は今もなお、外から様々なものが入る以前のものを受け継ぎ続けています。

ブルトゥクは南国らしい原始の様相のまま、風葬からは死生観や何に重きを置いて生きているのかの片鱗が見てとれるようです。世界の様々なエリアで失われていったものがありますが、トルニャンでは遠い昔の人の生活が今も生き続けています。

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