女性と噂されたフランスの竜騎兵、スパイ、近世の剣士-シュヴァリエ・デオン-

西ヨーロッパ
Chevalier d’Eon

フランス革命の時期に存在し、表舞台から裏舞台まで駆け抜けた近世の剣士にシュヴァリエ・デオンという人物がいます。シュヴァリエ・デオンはその容姿ゆえに女性と噂されました。実際に一生のうちの前半は男性、後半は女性として生きた人物と言われています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェヴァリエ・デオンの生まれ

実はシェヴァリエ(Chevalier d’Eon)とは、この人物の本名ではありません。シェヴァリエとは、フランスでは勲爵士という意味があります。他には中世の騎士や、義侠的な人という意味があります。この人物の本名はCharles-Geneviève-Louis-Auguste-André-Thimothée d’Éon de Beaumontといいます。名前の長さからして由緒ある生まれの人物のようにも見受けられます。

トネールの有名人

現フランスのヨンヌの町であるトネールで生まれました。このあたりは大昔はガリア系の流れを汲むリンゴネス族の要塞があった場所としても知られており、その頃から既にトネールと呼ばれていた地でもあるようです。シェヴァリエ・デオンは太古から近世にかけてトネールの出では特に有名な人物と言えるでしょう。

相続の問題で男性として育てられた?!

デオンの幼き日の情報は、本人が著した自伝により提供されている情報の為、真意は定かではありません。両親に関しては、母の方の父が地位の高い人物だったようてんす。母の父はスペインやイタリアの戦争で責任のある立場にあるほどの貴族でした。そして父は王に関わる弁護士だったようです。

そのような家柄ではありますが、そこまで裕福な家でもなかったようです。そしてデオンによれば、女性として生を受けたが、訳あって男性として育てられたと語っています。どうやら男児が生まれた場合のみ父が財産を相続出来るという背景があったようです。ただデオン死後の情報からすると信憑性は薄いかもしれません。

文武両道の傑物

デオンは数学とラテン語を学び、剣術、乗馬、ダンスと様々なものを学びました。そしてトネールからパリに移り、法律を学ぶ大学院に入学し、弁護士のライセンスを所得します。デオンは他を寄せ付けない優秀さで学校を卒業しました。デオンはエッセイや記事、金融や行政など様々な事を著し、注目集めました。ルイ14世の孫であるPenthièvre公爵を始め、Nivernais.公爵、Lauragais伯爵などの有力者と友人となりました。

シェヴァリエ・デオンの職歴

しばらく財務部署の王室の監査官としての任に就いていましたが、30歳を迎える前には、ルイ15世の個人的的なスパイ機関Secret du Roi(スクレ・デュ・ロワ)に加わります。

女性になりすましてロシア女官となる

デオンの役目はロシア内における、ハプスブルク家と敵対するフランスよりの人物達と接触する密命を受けました。その時のデオンは、リア・ド・ボーモンという名の女性としてロシアの女帝エリザヴェータの女官として潜入していたそうです。

スパイ活動から帰国後に7年戦争に参加

ロシアから帰国した翌年にブロイ元帥の率いる竜騎兵の隊長として7年戦争に参戦しました。デオンはこの戦いによりシェヴァリエとなりました。

再びスパイ活動へ

ロンドンで特命全権大使となり、諜報活動をしていました。デオンの所有するブドウ園のワインをイギリスの高官や貴族に贈り親交を深めていきました。しかしデオンは数ヶ月後には地位を降格されしまうという、屈辱的な仕打ちを受けてしまいます。フランスの2つの間に挟まれて微妙な立場に追いやられていきます。

そして帰国命令が下りましたが、デオンは従いませんでした。デオンは機密事項を盾に国と駆け引きをします。そしてデオンはスパイ活動に復帰はしますが、ロンドンに政治亡命をしているという複雑な立場となりました。

後期シェヴァリエ・デオン

Chevalier d’Eon(老年時代)

出展:AI画伯を使用した自身の画像より引用

ルイ15世が死去し、デオンは帰国の為の交渉を開始します。デオンはルイ16世に自身が女性であることを認めさせます。王はデオンに女性服の着用を命じ、そのための資金を与えました。そしてそれ以降は女性としての人生が始まります。アメリカの独立戦争が始まると、フランス軍として参戦しようとしましたが、デオンの参戦は叶いませんでした。

囚われの身となる

Page Not Found • Instagram

アメリカの独立戦争時、フランスが加担し始めました。デオン自身もフランス軍人として、参加することを所望しました。しかし、逆様々な機密事項を知りすぎてていたからか、ディジョン城にて、半月以上投獄される事になってしまいました。

上にデオンのデジョン城でもイメージ動画を作成したものがあります。宜かったらご覧ください。

再びイギリスへ

60歳になる前には再びイギリスへ渡ります。そしてフランス革命が起こり、年金を貰えなくなりました。それからフランスの国民議会に女性の兵士団を組織することを提案したが、却下されました。

困窮した生活

生活費を稼ぐため、フェシングの試合をなどを始めました。68歳前後までフェンシングで生計を立ていたようです。重傷を負ったためフェンシングを続行していくことが出来なくなりました。

その後リューマチを患い苦しめられます。コールというロンドンの未亡人と過ごし余生を送りました。82歳まで生きたそうで、遺体はロンドンの墓所にあるそうですが、具体的な場所は不明のようです。ちなみにデオンの子孫はフランスにおり、血が途絶えていないようです。

シェヴァリエ・デオンの性別

様々なデオンのエピソードを鑑みると、ルックスが非常に女性的な人物であることは濃厚だったと言えるでしょう。幾つかのエピソードと、デオンの存在から生まれた言葉や組織に関してご紹介していきます。

デオンの性別が賭けの対象に

デオンは常に竜騎兵の制服を着ていました。男らしい衣装にも関わらず、その容姿ゆえに女性ではという噂が挙がっていました。しかもその噂はエスカレートし、ロンドンの証券取引所で賭けの対象にまでなりました。

マリー・アントワネットがドレスを贈る

Marie Antoinette

出展:AI画伯を使用した自身の画像より引用

マリー・アントワネット、女性なのに軍服を着ているデオンを哀れんでドレスを贈ったことがあります。実際はルイ16世に女性服を着用するよう命じられていたにも関わらず、デオンが軍服を着ているだけでした。マリー・アントワネットの目からもデオンは女性に映ったのでしょうか。

「ベルサイユのばら」のオスカルのモデル?

オスカルのモデルにはスイス出身のフランスの軍人ピエール=オーギュスタン・ユランという説が強いです。しかしシェヴァリエ・デオンもありえるのではという説もあります。時代的に合っていますし、男装の女性と、女装の男性で逆ではありますが、デオンがモデルならばそれはそれで夢のある話かもしれません。

eonism

eonism(エオニズム)という言葉がd’Eonのeonから文字って作られました。服装倒錯という意味合いで作られれましたが、現在は曖昧な部分を含む為、ほぼ使用されなくなっています。デオンは基本的に竜騎兵の制服を好んできており、ルイ16世に命じられて女装をしていたという点から、服装倒錯家であったとも言えないようにも見えます。

竜騎兵の制服を着たのは、自身の嗜好というより何か生活の糧の目論みがあったのかもしれません。現に女装をしてフェンシングを行なっている絵画もありますが、嗜好なのか食べる為なのかイマイチ判断がつきにくいです。

ボーモント協会

今もなお学者達の間ではデオンをトランスジェンダーとする説もあるようです。トランスジェンダーの為の組織としてしられるボーモント協会はd’Éon de Beaumontからその名が命名されています。

「シュヴァリエ 〜Le Chevalier D’Eon〜」


実はデオンを扱ったアニメがあります。アニメだけでなく、漫画や小説もあります。こちらの場合はデオン・ド・ボーモントと呼ばれています。また初めに殺されてしまう姉の名がリア・ド・ボーモントです。現実のデオンの語りでは、ロシアにスパイへ行った時の名がここでは姉の名になっています。こちらの物語では、錬金術や超常的な現象を交えて史実とミックスされた作品になっています。

シェヴァリエ・デオンは話題性の高い人物

両性の人生を歩んだ人物であり、文武両道、スパイ、兵士、剣士と様々な顔を高次元で持ち得ていました。さらにフリーメイソン会員という話まであるようです。未だにデオンがどのような人物だったか賛否両論あります。ただ言えることは傑物であったのは間違いないでしょう。

そしてデオンの注目されやすい点は性別ですが、その他の角度からでも充分に魅力のある人物だったように感じます。デオンは女性の心を持つ男装趣味のあった人物なのか、それとも男性の心を持ち何か考えあって自身を女性と主張していたのか。ちなみにデオンの解剖学上の性別は、検死の結果では男性だったそうです。

タイトルとURLをコピーしました