ドイツ剣術の始祖と言われるヨハンネス・リヒテナウアーに関して(1-2)

西ヨーロッパ
Johannes Liechtenauer

剣術家と言うと岡田以蔵や宮本武蔵などを連想する方も多いかもしれません。ヨーロッパで特に有名な剣術家にヨハンネス・リヒテナウアーという人物がおり、様々なドイツ剣術の流派の源流とも言われています。ドイツ剣術の始祖となるヨハンネス・リヒテナウアーに関して見ていきましょう。

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中世ドイツの剣術

リヒテナウアーが有名な剣術家として後世に伝わる存在となった理由の一つに、彼の教えが書となり残されたことにあります。剣術家に関してはそれ以前にも各地に剣術家がいた可能性がありますが、ヨーロッパで有名になった人物たちの教えは書となり残っているケースが多いです。

ドイツの剣術の流れはリヒテナウアーより前に中世の剣術を語った書もあります。現段階である最も古いものは名も無き僧侶が残した書で、その後も主流の戦闘スタイルであるブロードソードとバックラーを扱ったコンビネーションが記されていました。

その後「ニュルンベルク手稿」が世に出て、リヒテナウアーはドイツの剣術の源流となる存在になっていきます。その後リヒテナウアーを支持する者も、さほど影響を受けてないものですら、リヒテナウアーの教えを受け継いでいるという体を取らなくてはならないほど、ドイツの剣術界では影響力がありました。

リヒテナウアーの人物像

14世紀の半ばにリヒテナウ(トイトブルクの森の南部に位置する町)で生を受けました。ただしリテナウアーという人物の詳細はあまり分かっておらず、「ニュルンベルク手稿」とリヒナウアーの弟子と呼ばれる人々の話からの情報からしか知ることを出来ません。リヒテナウアーは多くの土地を巡りながら剣の腕を磨いていきました。

後にリヒテナウアーの教えを継いだ人々がドイツの剣術界で頭角を現していきます。リヒテナウアーの教えはロングソードを始め、バックラーやダガー、甲冑を着用ないし平服での戦い方、騎乗した場合の戦闘などのテクニックに焦点を当てたものでした。様々な人々がリヒテナウアーの教えに取り組み「ドイツ流剣術」に昇華していきました。

azboomer / Pixabay

リヒテナウアーの教えは分かり易く述べられている訳ではありません。故意的に剣術熟練者のみ伝わる様に難解な言い回しにしたのではないかという説があります。そのような点がより敷居を高くし、リヒテナウアーの格を結果的に押し上げたのかもしれません。

リヒテナウアーの教え

リヒテナウアーの教えからは当時の崇高な騎士道精神を鑑みることが出来ます。神を愛し、女性を敬うことで自身の誉れが育まれ、自身が気高くなるための戦における作法を習得せよとも言っているようです。また宮本武蔵の五輪の書とはまた内容が違いますが、リヒテナウアーもまた五つの要素を核に作法を織り成していました。その5つとはvor、noch、swach、stark、Indesになります。

vorとnach

vorは英語でいうbeforeに近い意味を持つ前置詞、nachは英語でいうafterに近い意味を持つ前置詞です。vorは相手のアクションを予測し戦を支配している状態を表し、nachは相手のアクションに呼応する状態を表していると言えるでしょう。

基本的にリヒテナウアーの剣術は先制することに重きを置いていますが、物理的な先制攻撃をすることだけのことを言っているのではありません。相手を自身の動きにより、反応を促し相手に行動させたり、相手に攻撃を誘導させたりということも先制することに含まれます。

swachとstark

swachと記されているようですが、おそらくドイツ語のschwachのことを言っているのではないかと思われます。schwachは英語でいうweakに近い意味で、starkは英語でいうstrongに近い意味を持つ前置詞です。日本語で言う強弱というニュアンスに近い表現ですが、日本の武道でも良く使用される表現の「柔」と「剛」のニュアンスにも近いと言えるかもしれません。

また日本と同様に「柔よく剛を制し、剛よく柔を破る」という考え方をとっているようです。リヒテナウアーはbinden(日本で言う鍔迫り合いのような)状態の時にswachとstarkをFühlen(感知)することが重要だと語っています。言い換えると相手の圧から行動の意図を汲み取ることで、こちらが対応し主導権を握るような状態を作ることが重要だという意味になるでしょう。

Indes

indesは英語ではduring 、immediately、whileのような意味に近いです。リヒテナウアーの剣術の中でのindesとは、主導する若しくは主導権を奪い返すためには、どのような行動を行うことが最適かを判断することを表します。また判断し即座に行動に移すこともindesと表現しています。さらにbindenの時に生じるような主導権が判然としない状態のことをindesと表す時もあるようです。

リヒテナウアーが核とする五つの単語の内でIndesを除くと、相反する意味を持つ単語からなる二つのグループを作ることが出来ます。対峙する者に関して観察出来ることは視覚的に認識出来る外側の世界と、心から認識出来る内側の世界と言えるでしょう。また自身を観察する場合も、相手の反応により自身を把握していくことが可能です。基本的に片方がvorなら片方はnach、片方がswachなら片方がstarkとなります。

例えばある部分において自身がvorであるのにnachである場合のように、認識を見誤っているのであれば直ちに負傷する可能性があるでしょう。図として考えた場合はindesを中央に置き、他を四隅に配置するという感覚で捉えると分かり易いかもしれません。その際はvorとnachを対角に、swachとstarkも同様に置くとイメージし易いでしょう。

リヒテナウアーの格言

リヒテナウアーの格言は幾つもあります。これまでご紹介した内容を踏まえて、特に印象に残る格言を一つご紹介していきます。リヒテナウアーの戦いにおける考え方の根本にある事の一つとなる格言と言えるでしょう。

Wer do leit der ist tot / wer sich rüret der lebt noch

出展:Nürnberger Handschrift GNM 3227a

「留まる者は死へ導かれ、巡る者は生き続ける」という内容の格言になります。例えば構えを例にとると、剣術においては相手を意識せず、自身の構えに固執し続けると殺されてしまうと言い換えられるでしょう。これは剣術だけでなく何事にも言えるかもしれません。巡るというニュアンスは変化と言い換えることが出来るでしょう。

ただし仮に構えを変えないことにより場を支配しているケースもありますが、それは構えを変えないという「変化」をしたことにより先制した状態になったいるのかもしれません。留まるという意味は、相手の反応を意識せずに闇雲に留まることを指すと言えるでしょう。

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ドイツ剣術の始祖と言われるヨハンネス・リヒテナウアーに関して(2-2)
前回はリヒテナウアーの人物像や教えに関してご紹介していきました。今回の記事ではリヒテナウアーの教えを受け継いだ人々に関して見ていきましょう。また補足としてヨーロッパの剣術家として有名でかつ個性的な人物たちに関しても触れていきます。 教えを継...
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