私の家では毎年年末になるとStollen(シュトレン)を食すのが恒例になっています。日本でもクリスマスの時期になるとStollen(シュトレン)を販売するお店も多くあると言えるでしょう。そこで今回はStollen(シュトレン)の歩んできた歴史についてご紹介していきます。
Stollen(シュトレン)の始まりは14世紀
初めて作成された時期が記録として残っているのは1329年になります。その年にナウムブルク(ザクセン=アンハルト州の南)の司教であるハインリヒ1世が製パン職人のギルドを設立することを許可する事に端を発します。それに応えるようにギルドの人々はクリスマスの贈り物としてStollen(シュトレン)を献上しました。
当初のStollen(シュトレン)は質素だった
ただしその頃のStollen(シュトレン)の代名詞とも言える砂糖を塗してあるようなものでもなければ、バター、フルーツ、ナッツ類などが入っているようなものではありませんでした。水、菜種油、燕麦などで構成された至ってシンプルなものです。
そのような構成になっているのには理由があり、当時この地域ではクリスマスの4週間前の間は肉や卵、乳製品を摂取してはいけないとされていたためです。Stollen(シュトレン)という名はザクセンの辺りが発祥と言われています。形はイエスがおくるみに包まれている雰囲気を模している様子を表したもののため楕円形となっているようです。
15世紀にバターの使用が許可された
現代でStollen(シュトレン)の本場と言われているドレスデンでは1474年に記録が残っています。聖バルトロマイ病院が受領した請求書にchristbrotの記載がありました。christbrotとは中世ドイツではStollen(シュトレン)と同様の意味を持ちます。ザクセンの選帝侯エルンストとアルブレヒト3世の兄弟らはローマ教皇にStollen(シュトレン)にバターを使用することの許可を要請しました。
インノケンティウス8世が許可
それから時を経て1491年になりインノケンティウス8世の命によりドレスデン宛に書簡が出され、以降油の代替にバターを使用することが認められます。書簡には宮廷にStollen(シュトレン)を献上する職人だけが、バターを使用してStollen(シュトレン)を作っても良いという内容でしたが、次第に捉え方が変化し多くの場所でバターが使用されるようになりました。
16~17世紀にはStollen(シュトレン)の争いが勃発
ドイツ最古のクリスマス市と認知されているドレスデンのStriezelmarkt(シュトリーツェル・マルクト)では16世紀頃にStollen(シュトレン)が販売され始めて、一般の人々が手に入れることも出来るようになっていきます。ドレスデンの付近に位置するジーベンレーンのStollen(シュトレン)は非常に美味しいと評判が高く、周辺の地域の人々までこぞって注文するようになりました。
ドレスデンの職人の襲撃
本場であるドレスデンの市議会までもがジーベンレーンのStollen(シュトレン)を注文するようになり、ドレスデンの職人達はジーベンレーンの行いを疎ましく思うようになります。そしてジーベンレーンからStollen(シュトレン)を運んでくる馬車を襲撃し、火まで放ち追い払ったそうです。
Stollen(シュトレン)抗争の終結
1648年にはStriezelmarkt(シュトリーツェル・マルクト)でStollen(シュトレン)を販売することが出来るのは、ドレスデン職人たちが作成したもののみという御触れが出て、ドレスデン側が特権を得たそうです。
Stollen(シュトレン)の歩みにはお上が関与してくる
Stollen(シュトレン)の歴史を紐解いていくと、クリスマスに関係してくる食べ物だっただけに変化していくためにはお上の許可が必要でした。最初はバターすら使用することが出来なく、当時の菜種油は採油の仕方も異なるためどちらかというと灯火や潤滑油などに使用されるのが主でした。そのため現代の菜種油と違い臭いが独特であるため、Stollen(シュトレン)とはあまり相性の良いものではありませんでした。
お上から特別バターを使用する許可がおりStollen(シュトレン)は変化していきます。ただその後Stollen(シュトレン)を巡って職人同士の争いが勃発するまでに至りました。ドレスデンの職人ギルドの襲撃行為は利権のため、名誉ややっかみから、もしくは全ての要因から行った行為だったのでしょうか。次回は近代の流れの中Stollen(シュトレン)がどのように変化していったかに関して述べていきます。