南米の漢と言ったらラウタロ-チリ-

南アメリカ
ラウタロ

私の友人に南米出身の方がいるのですが、南米の英雄と言ったら誰をあげるか尋ねた所ラウタロと答えた方が何人かいました。最初は〜太郎?という日系人を上げてくれているかと思いました。またラウタロの話はジョジョにも似たような話があったことを思い出しました。

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ラウタロとは

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友人は多少日本の言葉を知っており、ラウタロは漢だといってました。そこで私はラウタロという人物に関心を持つことになります。ラウタロは16世期半ばのチリの辺りにおいてスペインの征服活動に対して、対抗した人物です。チリにはマプチェという先住民がいます。スペイン軍との戦において、マプチェの戦闘の仕方に大きな影響を与えた人物の1人です。

ラウタロの名

ラウタロの名前はマプチェの言葉でLef-Traruと言います。Lef-Traruはカンムリカラカラと呼ばれるハヤブサ科の鳥のことを言います。

ラウタロの少年時代

ペドロ・デ・バルディビア

出展:AI画伯を使用した自身の画像より引用

ラウタロの父は平時に長の役割をしていた人物だったようです。ラウタロは11歳の時にスペイン人に捕らえられてしまいました。そして10代の間はペドロ・デ・バルディビアの召使として過ごしました。Lef-Traruという発音はスペイン人にとって言いにくかったようです。

その為フェリペ・ラウタロと呼ばれていたようでした。フェリペという西洋風の名前を付けることで、先住民の幼い子をスペイン側に懐柔していく意味もあったのかもしれません。しかし1551年にペドロの元から脱出することに成功しました。ペドロ・デ・バルディビアに関する記事がこちらにありますので宜しかったらご覧ください。

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同胞達が虐げられているのを目の当たりしながら育つ

ラウタロはしばしばマプチェの人々が捕らえられて、スペイン人達に残虐な行為をされている場面を目撃したそうです。ペドロは見せしめの為にも、マプチェ達の足と手を全て切り落とせて命令したこともあると言われています。マプチェ達は想像を絶する仕打ちを受けていたようです。ラウタロはそのよう光景を目の当たりにして育っていた為、特にぺドロに対する憎しみが募りました。

スペインの軍隊に関して学ぶ

ラウタロは捕らえらてから3年間は捕虜的な立場でした。表面上はペドロへの憎しみを隠して過ごしていた為、ペドロにも気に入られ、彼のお抱えの召使にまでなりました。そこでスペイン人の軍や戦術を吸収していきました。ペドロの馬の世話や、戦や軍事演習まで常に同行させられる程、ラウタロは信頼されていたようです。

またペドロの部下の1人であるマルコス・ベェアスなる人物とは、友の様な関係になっていたようです。マルコスなどに、自分達とは異なる武器や騎兵術を教えてもらっていたようです。一説にはラウタロはわざと捕えられ、充分にスペイン軍に関して学ぶまで敢えて逃亡しなかったとも言われています。もしそれが本当ならば、相当な胆力と執念がある青年だったと言えるでしょう。

ラウタロの逆襲

機が熟したと見るや、ラウタロは脱出を試みました。脱出が成功し、いよいよスペインに反旗を翻します。ラウタロはマプチェ陣営の軍を整備し始めます。マプチェは馬による戦闘を行なっていなかった為、マプチェ陣営に騎兵を導入しました。そして戦術を整備していき、今までのマプチェとは違う非常に統制の取れた軍隊を作り上げていきました。

トゥカペルの戦い

ラウタロは兵6千を率いて、トゥカペルの地へ攻め込みました。ラウタロはペロドが到着する前にトゥカペルの砦の戦力を削ります。そしてペドロが到着した時に潜んでいた部隊が攻撃を仕掛けます。一派目は防げたのですが、ペドロ達が後退した先にはラウタロの部隊が現れ瞬く間に包囲して壊滅させられました。

ちょうどクリスマスの日だった様です。ペドロは自分の小間使いが指揮していると慢心していた結果、失態を犯してしまったのかもしれません。そしてペドロは捕らえられ殺されました。ラウタロの青年時代の苦労が実った瞬間でした。トゥカペルで敗戦したスペイン軍は、軍を再編成し、砦を強化しました。また占拠していたアラウコを放棄し、戦力を集めました。

スペイン軍が事前に備えている間、方やマプチェ陣営は伝統に則った長期間の戦勝祝いをすることにしました。そんな中でもラウタロは軍事的な優位な状態を得たばかりである為、さらにこの状態を強固にしたいという思いを保っていました。マプチェ側が祝続けてる中でも、なんとかラウタロは8千の兵をまとめ上げました。方やスペイン側はこの時期に、第二の刺客となるフランシスコ・デ・ビジャグラの指揮下の軍が進軍してきました。正に間一髪でした。

ジョジョの同じ様な話がある

ラウタロの話はどこかで聞いたことある話だと思いました。漫画のジョジョの奇妙な冒険のスティールボールランという物語でサンドマンというキャラクターが出てきたことを思い出しました。サンドマンはネイティブアメリカンであり、自身のドライブの考え方では西洋人には敵わないと考えていた人物です。

囚われの身になったわけではないですが、西洋人の書物などを読み対抗しようとしてました。サンドマンは志半ばで命を落とすことになりました。ひょっとしてラウタロの話を参考にさたのかもしれません。

ラウタロの戦いは続く

ラウタロは知識だけでなく、戦の天才と評価する人々もいる様です。トゥカペルの戦いで憎き相手であったペドロを倒すと、マプチェ自体の士気も非常に上がりました。ラウタロの帰還はマプチェに希望を与えました。当時のチリ付近では、干ばつに飢饉、さらに外から持ち込まれたチフスペストなど由々しき状態にありました。

その様な中でスペイン人を追い出す勢いが増していきました。ラウタロの勢いは止まらず故ペドロの作ったサンディエゴまで迫りました。次回はフランシスコ・デ・ビジャグラを始め、ラウタロの戦いの後半に関してご紹介しています。

ペドロ・デ・バルディビアに関する記事はこちら

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