フィオレ・ディ・リベリは14世紀後半のイタリアの有名な武術家です。フィオレ・ディ・リベリが後世で有名になった理由の一つに「戦いの花」と呼ばれるフェシトビュッフを残したことが挙げられます。そこでフィオレ・ディ・リベの「戦いの花」の詳細に関して見ていきましょう。
フィオレ・ディ・リベリの武術
ダガーと呼ばれる短い剣から、ロングソードや長い柄のある武器まで様々な武器の扱いに長けていました。さらにフィオレ・ディ・リベリは素手での戦闘やグラップリングなどの組技まで網羅してる中世の万能な武術家です。
フィオレ・ディ・リベリが残した書物に「戦いの花」と呼ばれるフェシトビュッフが存在します。タイトルからすると華麗な技を紹介した本のようにも感じますが実際にはどのようなことが書かれていたのでしょうか。またフェシトビュッフとはどのようなものなのかお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。
「戦いの花(Fior di Battaglia、Flos Duellatorum)」
記された内容は全て現存しているわけではなく、Fior di Battaglia(Ms. M.383)、Fior di Battaglia(Ms. Ludwig XV 13)、Flos Duellatorum(Pisani Dossi Ms.)、Florius de Arte Luctandi(Mss. Latin 11269)の4つがコピーとして残っています。
Fior di Battaglia(フィオル・ディ・バッタリア)とはイタリア語で、Flos Duellatorum(フロス・ドゥエレトルム)とFlorius de Arte Luctandi(フロリオス・デ・アルテ・ルクタンディ)は共にラテン語で「戦いの花」のような意味になります。
主な内容は、非武装状態での戦い方、ダガーを使用した戦い方や防御の仕方、片手剣や両手で扱う剣での戦い方などがあります。他には馬上の相手との戦い方や、ハーフソード(呼ばれる片手で柄を握りもう一方の手で刀身の方を握る槍のような使い方)の状態での戦い方に関しての記述もあるようです。
「Fior di Battaglia (Ms. M.383)」
1400年から1409年の間に作成され、1780年から1836年の間はヴェネツィアの旧イエズス会のMatteo Luigi Canoniciのコレクションとなり、1836年から1903年の間はBagington RectoryのWalter Sneyd牧師が所有し、1903年から1909年の間はTammaro de Marinisが所有しました。
その後1909年から1913年の間はJohn Pierpont Morganが所有し、1913年から1924年の間はJohn Pierpont Morgan,Jrが所有し、1924年から現在まではニューヨークのモーガン図書館&ミュージアムに収められています。ペンとインクを用いて、さらに金色のハイライトが加えられているフェシトビュッフで、歩兵と騎兵での剣や槍などの戦闘に関して描かれています。
他の現存するフィオレ・ディ・リベリのフェシトビュッフとは違い、剣や他の武器に関しては銀色で描かれていました。ただし現在は光沢のある黒色に変色しています。内容は騎乗での戦闘、槍対騎兵での戦闘、剣対ダガーでの戦闘、槍に対するロングソードでの戦闘、槍に対するダガーでの戦闘などが収められているようです。
「Fior di Battaglia (Ms. Ludwig XV 13)」
1400年から1409年の間に作成され、1474年以前はヴェネツィアのNicolò Marcelloが所有し、1699年にApostolo Zenoに贈られ、コピーが作成されることになりました。その後1825年までLuigi Celottiが所有し、1825年から1966年の間はThomas Phillippsのコレクションとなり、1966年から1983年の間はPeterとIrene Ludwigのコレクションになりました。
1983年から現在まではロサンゼルスのJ.ポール・ゲティ美術館に収められています。「Fior di Battaglia (Ms. M.383)」と似ていますが、現存する4つの原稿の中で最も長編のものになり、総合的な内容となっているようです。別名「Getty version」と呼ばれています。
「Fior di Battaglia (Ms. Ludwig XV 13)」は組技の立ち位置に関する説明と戦闘、棒を使用した戦闘、ダガー使用時の立ち位置に関する説明と戦闘、剣対ダガーでの戦闘、剣での4種類の打ち込み、槍に対するロングソードでの戦闘、槍に対するダガーでの戦闘、ポールアックスの立ち位置に関する説明と戦闘、槍での戦闘、騎乗での戦闘など非常に包括的な内容になっています。
「Flos Duellatorum (Pisani Dossi Ms.)」
1409年2月10日に完成しNiccolò IIIに寄贈されたそうですが、Niccolò IIIの図書館に収められた証拠はありません。その後1663年までSchier de’ Prevostida Valbregagliaに属し、Sacchi da Bucinigo家の図書館に収められました。1902年以前からPisani Dossi家が所有することになり、「Flos Duellatorum (Pisani Dossi Ms.)」は別名「Pisani Dossi version」もしくは「Novati」と呼ばれています。
「Flos Duellatorum (Pisani Dossi Ms.)」にはイタリア語とラテン語のプロローグがあります。前述の二つのフェシトビュッフと内容が近い部分もありますが、多少変わった情報も含まれているようです。
内容は組技の立ち位置に関する説明と戦闘、棒を使用した戦闘、ダガーでの戦闘、剣での4種類の打ち込み、槍での戦闘、槍に対するロングソードでの戦闘、槍に対する非武装状態での戦闘、ポールアックスの立ち位置に関する説明と戦闘、異国風のポールアックスに関して、騎乗での戦闘、槍対騎兵での戦闘、剣対ダガーでの戦闘などに関して掲載されています。
「Florius de Arte Luctandi (Mss. Latin 11269)」
1409年に完成したラテン語のフェシトビュッフです。1712年より以前はLouis Phélypeauxのコレクションになっており、その後Bibliothèque du Roi(シャルル5世により1367年に創立された王室文庫)に寄贈されました。1712年から現在までフランス国立図書館(Bibliothèque Nationale de France)に収められています。
「Florius de Arte Luctandi (Mss. Latin 11269)」では特にダガーを使用した戦闘に関する内容が多いようです。内容は騎乗での戦闘、槍対騎兵での戦闘、槍での戦闘、ポールアックスでの戦闘、槍と一緒にダガーを使用した戦闘、2つのクラブと一緒にダガーを使用する戦闘、剣対ダガーでの戦闘、ダガーでの戦闘、組技の立ち位置に関する説明と戦闘なにに関して掲載されています。
失われた項「Codices LXXXIV and CX」
フェラーラにあるBiblioteca Estense(エステ家の図書館)の1436年と1508年のカタログに記載されていましたが、16世紀になると失われました。皮と一緒に留め金で纏められた58のフォリオで構成されており、最初のページには白鷲と二つの兜が描かれています。現在は「Codices LXXXIV and CX」の行方は分かりません。
「戦いの花」の様々なバージョンが世界各地に散らばっている
ここまでフィオレ・ディ・リベリの「戦いの花」に関してまとめていきました。イタリアで現存する最古の武術的資料であり、多くの記録を幾つものフェシトビュッフに残していると言えるでしょう。現在はニューヨークやロサンゼルス、フランスと様々な場所に保管されています。
各施設に立ち寄る機会がある方は、戦いの花のコピーを観ることが実際に出来るかもしれません。拝見出来ない場合もあるため、ご関心のある方は予めお問い合わせをし確認した上で訪れると良いでしょう。