中世にはFechtbuch(フェシトビュッフ)という教科書のようなものがあります。Fechtbuch(フェシトビュッフ)とは名前からするとドイツ語のように見えますが、一般的にフェシトビュッフとはどのようなものを教えた書なのかに関して見ていきましょう。
Fechtbuch(フェシトビュッフ)は武術の教本
主に14世紀から16世紀かけて作られた武術の教本のことを指すことが多いようです。「fechter」はドイツ語でフェンシングをする人とう意味だけではなく、剣士という意味があります。「buch」はドイツ語で本を意味します。合わせて剣士の教科書と言えるでしょう。
Fechtbuch(フェシトビュッフ)の扱う武術の内容
剣術だけではなく、各種武器や騎乗での戦闘や組技や素手での格闘まで扱っているものまであります。特にFechtbuch(フェシトビュッフ)は名前の通りドイツを始め、イタリアやイギリスなどのものが有名と言えるでしょう。そこでフェシトビュッフで有名なものに関してご紹介していきます。
ニュルンベルク手稿-ドイツ
14世紀半ばに名を馳せたドイツの剣術家であるリヒテナウアーの教えを記したフェシトビュッフです。リヒテナウアーはヨーロッパにおける武術に大きな影響を与えた人物と言われ、彼の弟子と思われる人々によりさらに教えが加速していきました。
フェシトビュッフには具体的な戦闘の仕方だけではなく、基本的な戦闘の考え方、さらにリヒテナウアーの哲学に関しても触れられています。そのため剣術家のバイブルとなるようなフェシトビュッフと言えるでしょう。
戦いの花-イタリア
14世紀後半でイタリアで有名だった武術家のフィオレ・ディ・リベリが作成したフェシトビュッフです。主にダガーや各種剣や武器、さらに騎乗時の戦い方、非武装状態での戦い方など様々なシチュエーションに関して具体的に記されていますドイツとイタリアの武術を取り入れていたという話もあり、一説にはフィオレ・ディ・リベリの師の一人はリヒテナウアーだとも言われているようです。
パラドクシズ・オブ・ディフェンス-イギリス
17世紀前後に剣術家としてイギリスで有名な人物であるジョージ・シルバーの作成したフェシトビュッフです。当時のイギリスは、防御に非常に重きを置いている特徴がありました。ジョージ・シルバーも同じくタイトル通り非常に防御を重視した戦い方を元に戦闘を論じています。また当時流行りだしたレイピアへ警鐘を鳴らすフェシトビュッフとも言われているようです。
Fechtbuch(フェシトビュッフ)の始まりはドイツ?
ここまでフェシトビュッフに関する情報に関してまとめてきました。フェシトビュッフから当時の様々な地域の特徴を垣間見ることが出来きます。リヒテナウアーの存在や、Fechtbuch(フェシトビュッフ)と言われている通り、中世の武術として形として残したのはドイツが始まりだったのかもしれません。もしより詳しく様々なフェシトビュッフに関してお知りになりたい方がいましたらこちらも併せてご覧ください。