禁煙最終日と夢分析(骨折とお見舞い)

youtube歴史ドラマ「アラウコの叫び」

-アンゴル-(16名の強者)
16名の中でも、上位のツワモノのような印象を受ける記述もあるが、私が調べる限り、今の所彼に関する記述は少ないです。「アラウコの叫び」では、アンゴルに関しては私の創作度合いが高くなる可能性があります。

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禁煙最終日(2週目)

昨日は今週の仕事もあり、よく行ってたバーに久しぶりいってきました。そのような場所でタバコを吸わないでいられるのだろうかと。仕事自体もその日は無事初陣?となる日で、なんとか上手く業務を遂行することが出来、一息つきたい気分でもありました。

このようなことが積み重なった状態でスパーっとやりたくなるとこでしょう。ただコロナのこともあり、混んでいるようだったら入らない、空いてるなら飲もうという感じで向かいました。今は、何処かに行ったり飲みに行く場合はこのような感じで良いかなと思ってます。

到着して空いてるようだったので入ることにしました。見知った顔や、名前は知らないけどフランクに接してくれてる人達、初めて見る人々、コロナ前よりは大幅に空いてはいますが、相変わらず変わり無いような印象を受けました。みんな笑顔でお酒を飲んでる姿を見て、ついついタバコを吸いたくなる気分が5回ほどありました。なぜか明確に覚えていました。

最終的には、なんとか吸わずに済みました。その日にタバコを吸わないということは、3000円の節約になると考えると、堪えることが出来ました。明日は医者に行ってます。一酸化炭素の度合いも大分減っただろうか。ちゃんと胸式呼吸で計測してもらおう。

夢を分析してみました

久々に夢を見ました。
足を骨折をして入院する夢でした。いろんな人々が見舞いに来てくれました。この夢を自分なりに分析してみると、見るべくして見た夢な気がしました。それぞれの要素を分析すると・・

足の骨折

これは単純に仕事終わりに飲みにいき、スタンディングバーだっため足が疲れたのも大きい気がします。あとは、骨折によって自由を奪われる、禁煙などの我慢を表すのかもしれません。ただ足とは身体を支えるものであるため、生活基盤や収入源を暗示しているとも言われているようです。

そして、足は行動を象徴するものでもあるため、折れてしまうということは悪い習慣を断ち切りたいという暗示にも繋がるとも言われているようです。そう考えると思い当たることがあります。私は飲みなどに行った時に、何時までに帰ろうというのをなかなか実行できません。ついつい長く滞在してしまい、挙句に終電を逃してしまうことがしばしばありました。

とは言えほとんどはあっという間に始発を迎えてしまいます。しかし時には変に散財したり、つまらない時もあります。そのような時は、3時くらいに疲労がピークになり、早く帰れば良かったなんて思う日も多かったです。そして良い日になっても、悪い日になっても、次の日しなくてはいけない事あるのに、またやってしまったと後悔することがあります。

こういうことはたまになら良いのですが、遊びに行った時はその頻度が非常に高いです。今はコロナで強制的に長居は出来ないですが、そういう心境を思い出し骨折の夢につながったのかもしれません。ただ生活基盤系の暗示に関しては、数ヶ月前に折れているので、今回の骨折の夢とは関係ないかもしれません。

見舞いは称賛を表す?

自分を見舞いに来た人々は皆さん笑顔で優しく接してくれました。これは骨折(断ち切った)した自分を称賛してほしいということの現れのような気がしました。なぜなら実際、路上やバーでも、多くはないですが幾人かの方が禁煙してるだって?って話しかけてくれました。頑張ってるだねーみたいな感じで。まさに夢で見た雰囲気はそれに置き換えられるような気がします。

タバコ吸う人を目の当たりしても

余談ですが、実際喫煙場所に行って話をする場面もありましたが、そこでタバコを吸いたいとは特に思わない自分に感動しました。相手が吸ってるのに吸いたくならない、これは本当に大きいことです。

見舞い者達との触れ合い

見舞いに来られるとは、一説には寂しさ、愛情に飢えてるなどを暗示していると言われます。
実際15名?、いやたぶん16名?ほどの人々が見舞いに訪れました。きっと私はより称賛して欲しい、よりいろんな方々と親しくなりという願望があるのかもしれません。称賛については禁煙のことが主だと思うのですが、おそらく私の作品をより多くの方に観て欲しいという願望もあるのかもしれません。

そして、飲みの席でもっとたくさん絡みたいたいけど、コロナを意識するのもあって密には絡めないそんな歯痒さもあるのかもしれません。もしくはsnsなどでももっと色んな方と絡みたいという現れかもしれません。こちらの方は時間が足枷になっているかもしれません。

見舞いに来た人々

特に親しい人はおらず、パーティの時でしか会わない人々、ばったり会えば仲良くその日つるんじゃう人々、バーと同じく名も知らない方もいました。そして、初めて会う?人々もいました。きっと私がより親睦を深めたいのは、私にとってそのような人々なのではないかと思いました。

ただ、登場した人々は、昨日会った人々や、バーにいる人々ではなく数年前に絡んでて、今は見かけなくなった人々ばかりです。これは単なるメタファーなのかもしれません。ただ少し思い当たることがあります。夢に出てきた人々の数人に関しては、ある友人Eと私の共通の知人達でした。Eとは頻繁に遊んだ仲で、ちょうど数ヶ月ぶりに、今週便りがありました。

写真撮影、みんなとハグしきれなかった

夢ならではですが、骨折しているのに、みんなと握手したりハグしていました。しかし、全員とハグしきれませんでした。ハグしきる前に面会時間の終了を迎えて、この夢は終わりました。写真撮影なども兼ねてハグしてました。

その間時間がないという感じも思いつつ、全員で写真も撮りたいなぁという思いがあったのも覚えています。しかし、私は一人一人と夢中で話してしまい、その思いは叶いませんでした。
この感覚はまさに昨日の飲みや、最近の私の状態を表しているかもしれません。全員と接するには時間が足りない、けど一人一人ともっと話したい。

まさに自分の心境をあらわす夢だった

私は専門家ではないので、夢分析としてこれが合ってるかどうか分かりません。しかし、時折このようなことを自分なり考察するのが楽しいです。時には友人に頼まれて夢を分析することがありますが、彼らがなるほどーと思ってくれたりすると、私も嬉しかったです。

骨折は、疲労だけでなく、今の自身の状況の不自由さや我慢を表しているとも言えます。そしてお見舞いに来てくれた人々は、私が今親睦を深めたい対象だと思います。そして、不自由さ、自身の気質から絡みたい人々全てと、十分に絡みきれない歯痒さも表してると思います。

そして禁煙や節制、仕事で成果を出したことなどに対して、より称賛が欲しかったのかもしれません。夢なので特に自分中心?の思考になっているのかもしれませんが、その中にも他者も喜んでくれたらという想いが詰まってたら良いなぁと思いました。

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